さて、ブログリニューアルもしたことですし、少しライフハック的な記事でも書いてみようと思います。
とは言っても、皆さんが日々実践していることを文字にしただけかもしれません。
お時間あればお付き合いください。
「言葉使い」としての自分
まずはじめに、言葉の重要性について前置きします。
例えば魔法使いというジョブについて考えると、科学が発達した現代ではゲームや映画の世界だけのものとなってしまいました。
しかし、言葉使いというジョブは言語が生まれた太古の昔から今も存在しています。
日本語、英語、中国語、多々ありますが、要するに自分たちがまさに「言葉使い」というジョブに就いていると言えます。
この言葉というのは不思議なもので、ある方に言わせれば「これまでのあなたの人生は自分の発した言葉によって形成されている」ということになるそうです。
おいおいおい、そんな言葉なんかで人生が左右されるわけがない、という意見もあるでしょう。
しかし、現実に振り返ってみると当てはまる点が多くあるのです。
好きなことを発信すること
分かりやすい例として、自分が好きなことを言葉で発信してみたらどうなると思いますか?
何でもいいです。
映画が好き、ゲームが好き、野球が好き、カフェが好き、お肉が好き、、、何でもいいです。
そうすると、その言葉に引き寄せられるように同じ「好き」の人たちが自然と集まってくるんです。
そして同じ「好き」な話題でコミュニケーションすることが出来、さらには新しい有益な情報も得ることが出来るのです。
僕の場合で言えば、登山をしながら山の写真を撮るのが昔から好きです。
とある温泉旅館の主人が山好きと聞き、自分が撮った写真を見せたことがあります。
そうすると大変喜んでくれまして、すでに絶版されている貴重な山岳書籍を頂いたり、山にまつわる昔話(環境保護活動など)を丁寧に教えてくれました。
また、僕が撮った写真を年賀状にも使って頂きまして、いやはや全国的にも有名な旅館ですから、大変恐縮した記憶があります。
話はこれで終わりません。
その年賀状を見た旅館の常連客で、同じく山が好きという方が僕と連絡を取りたいということになり、達筆なお手紙を頂きました。
そこには写真に対してのお褒めの言葉はもちろん、その方の「山好き」がいっぱい詰まった素敵なものでした。
聞けばなんとその方、年齢は90歳。
まさか50も歳の離れた友達が出来るとは、夢にも思わないわけです。
その方とは今でも交流がありますが、古いアンティークなフィルムカメラを頂いたり、孫のように?とても可愛がってもらってます。
まさに「好き」が繋がって自分の人生が豊かになった一例ではないかと思います。
発信は何でもいい
この「好き」を言葉で発信するのは何でもいいと思います。
今の時代、このブログを読んでいる方ならSNSにも親しいわけで、TwitterやFacebook、Instagramなど発信する場所はたくさんあります。
もちろん、リアルの世界でも人との会話の中で好きな話をするのは大変有益です。
昨夜、こんなことがありました。
仕事上の懇親会がありまして、そこに以前よりお付き合いのある先輩がいたのですが、ふとしたきっかけに音楽の話になりました。
「先輩の好きな音楽って何ですか?あんまり聴いてるイメージないんですけど」
すると意外や意外、ヘヴィメタルという答えが返ってきました(笑
(ちなみに僕は小学生の頃から生粋のメタル好きです。)
先輩は僕の驚いた表情を気にすることなく、Children Of BodomやIn Flames、果てはSlipknotの名前まで出る始末。
「あの狂ったような感じが好き」という訳のわからないコメントも頂きまして、途端に場が盛り上がっていきました。
その会話を横で聞いていた別の先輩(関西出身)も突如参戦。
「俺はAC/DCが好きやな。ブライアン・ジョンソン分かる?あとLed Zeppelinは神!」
さらにそれを隣の隣で聞いていた別の先輩が「それならCreamもいいですよ~。あの年の名演が忘れられないんです。NEODEADさん、ぜひYoutubeで見て欲しいな。」とスマホを取り出してきました。
果たして、懇親会の後はこの音楽好きのメンバーでRockなBarになだれ込んだわけですが、この「好き」の発信がもたらす効果ってとても有益だと思いませんか?
情報はもらう時代
例えば、音楽の情報を得るために、皆さんはどうしているでしょうか。
Youtubeや音楽系のブログ、インターネットラジオ、そして鬼に金棒なGoogle検索。
それでも、なぜか自分の欲しい情報に辿り着けないことってあると思います。
そこを補完するのが同じ「好き」を共有する人々です。
すでに説明したように、常に好きなことを発信していると、それに共感する人々が自然と集まり、親切な方に至っては情報まで教えてくれます。
もちろんこれは音楽に限りません。
「私はパンケーキが大好き!パンケーキで3食いけるわ!」なんてことを常々発信していたら、そのうち同じパンケーキ好きが新しいお店の情報などをきっと教えてくれます。
これって人生が豊かになっていく1つの有効な手段ですよね。
加えて「好き」の中身が具体的であればあるほど、情報の精度は高まります。
お肉が好きなら、それは牛肉なのか豚肉なのか鶏肉なのか。
お酒が好きなら、ビールなのか焼酎なのか日本酒なのか。
具体的な好きの発信は受け手側にとってもありがたいことが多いものです。
好きなことをやるのは当たり前
人生を豊かにするために好きなことをやれ、というのはよく耳にします。
僕も否定しません。
何でも好きなことをやるのが最良です。
ただ、屁理屈に聞こえるかもしれませんが、実際のところ、僕らは好きなモノを食べたり、好きな映画を観たり、好きな服を買ったりしています。
すでに好きなことを日常的にやってるんです。
何度も繰り返しになりますが、大事なのはその好きなことを具体的に発信することではないかと思うのです。
そうすれば新しいアイデアが生まれたり、コミュ力も自然と高まります。
(好きなことを話すと人は笑顔になる→笑顔は最高のコミュニケーションツール)
伝えることの難しさ
僕は昨年、サイバーパンクというカルチャーにスポットを当てたクラブイベント「Galatea」を立ち上げました。
出演者を募る中で、一人一人に僕の好きなサイバーパンクのイメージを伝えました。
まずは言葉で、そして絵や写真、音楽などで伝えました。
それを基に、各自がアイデアを持ち寄り、結果としてイベントは素晴らしい内容となりました。
しかし、果たしてそれがお客さんまできちんと伝わっていたかどうか。
そこは今後の課題として取り組まなければいけないと思います。
というのも、クラブイベントの場合、そこに言葉はありません。
あるのは視覚(ビジュアル)と聴覚(サウンド)のみ。
そう考えると言葉というのはとても便利でありがたいものと言えるのではないでしょうか。
言霊としての言葉
ややスピリチュアル的な言い方になるかもしれませんが、言葉には魂が宿ると思います。
普段から乱暴な言葉を使っていると負のオーラを撒き散らしているだけのような気もします。
SNSにしても、人を汚い言葉で罵ったり、ネガティブなことばかり発信していても、人生はちっとも豊かになりません、たぶん。
僕もそういう時期があったからこそ、このことは強く確信しています。
言葉次第で自分の取り巻く環境は必ず変わります。
まだまだ僕も修行が足りませんが、より高いレベルの「言葉使い」を目指したいと思います。
以上、長い文章にお付き合い頂き、ありがとうございました。
リニューアルしたこのブログでは何でも発信していこうと思います。
もちろん僕が「好きなこと」を中心に。
(90歳の友達と知り合うきっかけとなった写真。朝焼けです。)