2016年4月に発生した熊本地震から3年が経った。
隣県に住んでいた僕は、地震発生後しばらくして、車を飛ばしていた。
熊本市内に住む友人に物資を運ぶためだ。
阿蘇市を横断する国道57号が寸断されていたことは報道でも把握済み。
従って高速道路で向かったけど、熊本に近づくにつれて車の数も多くなり、やがては渋滞へ。
結局、植木ICで強制的に下ろされ、そこからは下道で向かうことになった。
いつもなら3時間もかからない距離が、2倍の時間を要した。
それもそのはず、熊本市内でも道路の陥没や地割れが酷かったように思う。
地震という災害において、このようなライフラインの寸断はやむを得ない。
だからこそ、備蓄などの準備が大切だと行政は警鐘を鳴らしている。
しかし、2~3日分の備蓄は出来ても、それ以上の備えというのはなかなか難しい。
たとえ1週間分の食料を確保していたとしても、トイレットペーパーや生理用品などの生活必需品はどうだろうか。
果たして、災害というものは経験してみないと分からないのも事実だ。
さて、結局その日は友人にも無事に会うことが出来、僅かな救援物資も渡せた。
片道6時間かかったけど、宅配業者に頼むよりずっと速いし、困った時はお互い様だ。
その後、近くの小学校にも立ち寄って、飲料水などを持って行った。
教師と思しき人が、電話対応で忙しそうにしていたことを今でも憶えている。
日本に住む以上、地震のリスクがゼロという場所はない。
むしろ津波や地滑りなど、二次被害のリスクに晒されている場所の方が多いはず。
だからこそ、お互いに助け合うことが大事なんだろう。
日本の歴史とは、復興の歴史でもあるような気がする。
ということで、今回選んだ写真は宮崎県の五ヶ瀬町から眺めた阿蘇の山々。
ちょうどこの日は桜も満開で、春の陽気がまぶしかった。
願わくば、この平和な景色がずっと続きますように。