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JUSTICE

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JUSTICE

 

有名人が薬物で逮捕されるたびに問題となるのが、当該人物の作品の取り扱いだ。

日本では、これも慣例なのだろうか、音楽アーティストなら即座にCDが回収される。

果たしてそれは、臭い物に蓋をするが如く、社会正義という大義名分で世間を納得させようとする構図にも見える。

 

では、正義とは一体何だろう。

道徳や倫理を指しているのは理解出来るものの、法的な根拠と位置付けるなら、これほど脆弱なものはない。

なぜなら、薬物に対する取り扱いにしても、各国で全く異なる状況があるからだ。

方や死刑に値するほどの重罪であり、方や罪に問われない国も存在しているとなると、正義とは果たして人類の共通認識とは言えなくなるのではないか。

 

少なくとも「1億総ムラ社会」である我が国は、そうした正義の定義に翻弄されやすい。

特にSNSの隆盛は、大衆の行き過ぎた正義感も可視化してしまった。

こうした正義感の暴走は今に始まったことではないけれども、ひとえに社会が成熟していないことを示唆するものだと思う。

 

従って、良識派の多くの人が指摘するように、作品それ自体に罪はないと僕も考えている。

作品の回収や放映の中止は、あくまでも関係先に対する謝罪の意思表示にも見えるからだ。

(つまり、傍観者である「世間」の僕らとはあまり関係がない。)

 

今般の沢尻エリカが逮捕された件についても同じだ。

すでに大河ドラマは撮影が進んでいたと聞く。

NHKは視聴者の受信料が収入の柱であるけれども、勇気を持って放送すべきである。

そして、以下のようなテロップを入れて欲しい。

 

「私たちは作品に罪はないと考えています。」

「沢尻エリカさんが薬物の依存症から立ち直ることを祈ります。」

 

薬物への依存は殺人や傷害など、相手に危害を加えるのとは違う。

だからといって薬物を肯定しているわけではなく、彼女を擁護しているわけでもない。

この国に生きる以上は現行法に従う他ないし、そもそも人間の尊厳に関わる罪である。

しかし、正義には他者を思いやる思想も必要不可欠だ。

人に甘いとかそういう話ではなく、人間としての優しさ、寛容さが試されていると思う。

 

蛇足ながら、50年前の中国で起きた文革も、結局は正義の暴走ではなかったか。

より良い社会の実現というスローガンの下で、お互いを監視するような世の中にしてはならない。

そうして市井の表現が委縮することは、やがては文化的自殺行為にも繋がってしまうのだから。。。

 

ということで、今回は重いテーマの日記となってしまった。

作品に罪があるかどうかに関しては、もっと議論が深まって欲しいと思う。

この点については賛否あって然るべきで、絶対的な模範解答というのは恐らくない。

同様に、薬物犯罪に対する可罰的違法性についても、考量の発端となることを願う。

 

写真は、夕暮れの埠頭をNikon Z 6で撮影したもの。

空気が澄んで、いよいよ冬の始まりといったところである。

 

 

Harbor × Nikon Z 6

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撮影地:かんたん港園(大分県)